ひらのあつこ。個展『Catalyst』

企画名

ひらのあつこ。個展「Catalyst」

日程

2026年2月15日(日)~3月10日(火)
水・木休廊(不定期休廊あり)
※2月15日は16時半~

場所

モノノアハレヲ
〒810-0073 福岡県福岡市中央区舞鶴1丁目9−37

オープニングレセプション

2月15日(日)16時半~
予約不要・無料
 ※作家在廊予定

作家紹介

ひらのあつこ。

instagram:@atsuko_hirano.11

1978年 福岡県生まれ
2012年より創作活動を開始。個展やアートフェア出展など精力的に活動を展開する。

内的な感覚や衝動に根ざした独自の世界観によって構成される作品群は、発表当初から多くの支持を集めている。アール・ブリュットの文脈、ミラ―ライティング(鏡文字)といった背景を内包しながら、言語や意味の秩序を越境する表現を展開している。

Atsuko Hirano— Solo Exhibition”Catalyst”

February 15 – March 10, 2026
Closed on Wednesdays & Thursdays
(Irregular closures may apply)

MONONOAharewo

Opening Reception

February 15, from 4:30 PM
No reservation required / Free admission
※ Artist will be present (schedule to be announced)

Atsuko Hirano

Born in 1978, Fukuoka, Japan

She began her artistic practice in 2012 and has since been actively engaged in exhibitions, including solo shows and art fairs.
Her works, constructed from a unique worldview rooted in inner sensations and impulses, have garnered strong support since their initial presentation.
Drawing upon contexts such as Art Brut and mirror writing, her practice develops expressions that traverse the boundaries of language and the order of meaning.

<<Director’s Curatorial Statement>>

——主体なき制作の系譜と、触媒としての作家——

ひらのあつこは、制作行為を意図や構想によって組み立てるものではなく、「降りおりてくるもの」を受け取り、それを描写する行為として語る。自らを創作者というよりも、何かを媒介する存在、すなわちメッセンジャーとして位置づけるこの語りは、一見するとスピリチュアルな自己理解のようにも映る。しかし本展では、それを神秘として回収するのではなく、主体と表現の関係を組み替える制作態度として捉えたい。

ここで起きているのは、近代美術が長く前提としてきた「作者が意図し、作品を支配する」という構図からの逸脱である。作品は、作者の内面を説明する結果ではない。むしろ、作家自身が制御しきれない何かが通過し、その痕跡として現れてきたものだと考えられる。作者は意味の発信源というより、生成の場に立ち会う一つの条件に近い。

ひらのは、いわゆる美術教育やアカデミックな訓練を経て作家活動を行っていない。その点において、彼女の制作は、ジャン・デュビュッフェが構想したアール・ブリュットの文脈に自然に接続される。ただしここで重要なのは、教育や訓練の有無それ自体ではない。アール・ブリュットの作家たちが体現してきたのは、制度化された芸術の内部で見過ごされ、あるいは排除されてきた、別様の知覚や思考のあり方であった。見出された概念は、技巧や完成度といった評価軸ではなく、世界との直接的な接触が生み出す表現の強度である。ひらのの制作もまた、そうした接触の場に根ざしており、その意味においても、彼女は、アール・ブリュットの系譜に連なる一人として位置づけることができる。

ひらのの制作において、描画は何かを説明したり、意味を正確に伝達したりするための手段ではない。それらは、身体と世界が直接触れ合う場として機能し、表現は完成された結果というより、その場で生じた出来事として立ち現れる。こうした制作態度は、むしろより原初的といえるのかもしれない。ラスコー洞窟壁画をはじめとする先史時代の洞窟芸術は、単なる装飾や記録ではなく、シャーマニズム的儀礼やトランス状態と深く結びついた実践として解釈されてきた。そこでは、描くことは自己表現ではなく、不可視の力や世界の秩序と接続する行為であり、像は意味を伝える以前に、何かが起こった証として刻まれている。20世紀に入ると、この「主体なき制作」はシュルレアリスムのオートマティスムとして姿を現す。アンドレ・ブルトンが構想したこの方法は、理性による統制をいったん手放し、無意識の流れに身を委ねる試みであった。そこでは、自由に表現すること以上に、作者が自分の作品を完全には所有できない状態そのものが重視されていた。また、ジャクソン・ポロックに代表されるアクション・ペインティングにおいては、キャンバスは「描かれる場所」ではなく、身体、重力、時間が交差する出来事の場へと変化していく。ドリッピングは表現というより生成であり、作者は意図する主体から、場に身を委ねる存在へと変わっていった。ひらのの代表作である「オドルアオ」においても、このドリッピングの手法が用いられる。 こうした流れは、哲学者ジル・ドゥルーズによって理論的に言語化された。『差異と反復』において彼は、表現の起点としての主体を問い直し、重要なのは「誰が作ったか」ではなく、何が繰り返され、その都度どのような差異が生まれたのかであると述べる。制作とは、内面の告白ではなく、身体や知覚、偶然、物質、時間が交差する生成の出来事なのであると。

この視点に立てば、ひらのが語る「降りてくるものを描く」「自分はメッセンジャーである」という言葉も、神秘的な自己解釈ではなく、それはむしろ、作者が意味の原因であることをいったん手放す態度として読むことができる。

本展タイトルにかかげる「catalyst【触媒】」は、まさにこの姿勢を象徴している。触媒は反応を引き起こすが、それ自体が反応の主体ではない。ひらのもまた、意味を与える存在というより、変化が起こる場をひらく存在として立っている。作品は答えを提示するのではなく、鑑賞者の知覚や思考の内部で、静かな反応を呼び起こす――

 本展が問いかけるのは、「何が描かれているのか」ではない。

「何が通過したのか」である。