
【展覧会概要】
展覧会名:静かに堆積するもの
出展作家:naoko shimagami
会期:2026年7月15日(水)→ 21日(火)
時間:午前10時 〜 午後8時
※最終日は午後3時で閉場。
会場:あべのハルカス近鉄本店タワー館 11階美術画廊
住所:〒545-8545
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1丁目1−43
入場:無料
naoko shimagami
1993 京都精華大学美術学部洋画卒業
大阪府にて制作中
■個展・グループ展・アートフェア
2010 個展、川端康成文学館
2016 グループ展、Jedite Galleries、ニューヨーク
2017 個展、Yart ギャラリー
2018 個展、ExaART ギャラリー
2019 個展、ターミナル京都
2019 個展、喜多美術館
2019 グループ展「室礼」、ターミナル京都
2020 個展、イグエムアート
2020 個展、高槻阪急百貨店
2022 UNKNOWN ASIA
2022 UNKNOWN ASIA Extra
2023 Independent Tokyo
2024 Independent Tokyo
2024 個展、ギャラリーTK2
2024 福岡岩田屋 定番コレクション
2024 アートフェアアジア福岡(MONONOAharewo)
2024 グループ展「移ろい」(MONONOAharewo)
2025 アートフェアアジア福岡(MONONOAharewo)
2025 神戸アートマルシェ(MONONOAharewo)
2025 関西国際芸術祭(MONONOAharewo)
2025 個展、イグエムアート
2026 アートカウンシル(MONONOAharewo)
2026 神戸アートマルシェ(MONONOAharewo)
■ 受賞歴
2016 光陽展 会友秀作賞
2015 光陽展 会友秀作賞
2013 光陽展 新人秀作賞
2011 光陽展 新人秀作賞
2009 摂津市作品寄贈
2008 摂津市展 市長賞
2007 摂津市展 市長賞 摂津市美術協会員 選出
2003 茨木市展 茨木市教育委員会買い上げ
1999 豊中市展 商工会議所会頭賞
1995 茨木市展 彩美堂賞
■ パブリックコレクション
摂津市
茨木市教育委員会
旅先で、なぜか足を止めてしまう場所がある。
それは名所旧跡のような特別な場所とは限らない。
風雨にさらされた壁、使われなくなった建物、ひび割れた石畳。
そこには何かがあるというよりも、何かが失われたあとに残された気配がある。
naoko shimagamiの創作は、そのような場所との出会いから始まる。
彼女にとって旅とは、風景を集めるための行為ではない。むしろ、土地に刻まれた時間に耳を澄ませるための行為である。長い年月を経た場所には、そこを行き交った無数の人々の営みが沈殿している。壁の染みや石の摩耗は、歴史を語るものではなく、歴史のあとに残された痕跡である。
私たちはしばしば、遺跡や廃墟に美しさを見出す。それは保存された過去に感動しているからではない。むしろ、時間によって削られ、欠け、失われたものの向こう側に、なお消えずに残る存在の強さを感じ取るからだろう。
十九世紀末、美術史家アロイス・リーグルは、古い建築や遺物に宿る価値を「経年価値」と呼んだ。完成された当初の姿ではなく、長い時間を引き受けた痕跡そのものに価値を見出したのである。
shimagamiが旅のなかで惹かれるのも、まさにその時間の痕跡である。
しかし彼女は、それらの風景を作品のなかに再現しようとはしない。
旅先で出会った場所は、いったん作家の内側へと沈んでいく。そして自身の記憶や感情、忘れていた時間と混ざり合いながら、少しずつ別のかたちへと変化していく。
記憶は、出来事をそのまま保存してはくれない。思い出すたびに輪郭を変え、ときに何かを失い、ときに別のものを加えながら現在へ流れ込んでくる。そのあり方は、風化した建築が時間のなかで姿を変えていくことによく似ている。
彼女の表現もまた、旅先で見た風景そのものではなく、その場所に立ったときに感じた空気、言葉にならなかった感覚、心の奥底に沈んでいた記憶の断片から生まれている。
作品のなかに現れる亀裂や揺らぎ、曖昧な輪郭は、不完全さではない。それらは時間と向き合う過程で残された痕跡であり、素材と身体、記憶と忘却が交差した記録でもある。
遺跡、風化、記憶、痕跡をめぐる表現は、現代美術のなかで繰り返し試みられてきた。
アンゼルム・キーファーは歴史や神話、戦争の記憶を重厚な物質のなかに沈め、ロバート・スミッソンは風化や崩壊そのものを作品の時間として扱った。サイ・トゥオンブリーは古代世界の記憶を文字や筆跡の断片へと還元し、クリスチャン・ボルタンスキーは不在となった人々の痕跡をアーカイブとして提示した。
失われたものをいかに可視化するかという問いは、現代美術の重要な主題であり続けてきたのである。
そしてshimagamiの作品は、その豊かな系譜に連なりながら、そこに独自の静けさと、内面へ深く沈み込む時間の感覚を加えている。
彼女が向かうのは、歴史そのものではなく、歴史が一人の人間の内部に残す余韻である。
彼女は歴史を描こうとしない。遺跡を引用しない。風化を美しいイメージへ還元することもない。
むしろ彼女が見つめているのは、ある場所に触れたとき、自らの内部で何が起こるのかという、より静かで見えにくい出来事である。
土地の記憶は、個人的な感情や身体感覚と混ざり合いながら変質していく。
作品とは、その変質のあとに残された痕跡なのである。その点にこそ彼女の表現の固有性がある。
過去を再現するのではない。記憶を保存するのでもない。風化を鑑賞の対象として提示するのでもない。
場所の時間が、一人の人間の内部を通過し、別の物質として再び現れる。その変化過程そのものを提示する試みなのである。
現代において、風景はかつてないほど容易に記録されるようになった。旅先の記憶でさえ、画像として保存されることを前提としているように見える。
だが、本当に心に残る経験とは、そのようなものだろうか。
私たちが忘れられないのは、むしろ写らなかったものではないか。
風の匂い。光の温度。言葉にならなかった感情。その場所に立ったとき、不意によみがえった遠い記憶。
shimagamiの作品は、そのような保存できないものへ向かっている。
過去は、単に過ぎ去るのではない。ある瞬間、不意に現在へ立ち現れることがある。知らないはずの場所に懐かしさを覚えることがある。初めて見た風景なのに、なぜか以前から知っていたような気がすることがある。
旅のなかで彼女が出会うのは、そのような時間の重なりであり、作品とはその遭遇の痕跡なのかもしれない。
だからこそ、そこには旅先の記憶だけでなく、鑑賞者自身の記憶が入り込む余白がある。
かつて歩いた街。もう失われてしまった風景。忘れていたはずの感情。二度と戻ることのできない時間。
作品を見つめているうちに、それらは静かに呼び起こされる。
風化とは終わりではない。
それは存在が時間を生きた証であり、失われながらもなお残り続けることのかたちである。
naoko shimagamiの作品は、旅のなかで出会った土地の時間と、人の内面に沈殿した感覚とを静かに重ね合わせながら、言葉になる以前の気配をすくい上げようとする。そしてその気配は、作品を前にした私たち自身の記憶と結びつき、新たな風景として立ち現れる。
それは遠い場所への旅ではない。
私たち一人ひとりの内部に眠る、まだ言葉にならない時間への旅なのである。
モノノアハレヲ Director
