二人展『PULSATIONーEmerging Artists of Kyushu vol.01』開催

2026年3月9日

九州という土地は、複数の時間と文化が交差し続けてきた、揺らぎの場でもある。

本展「PULSATION」は、九州において制作を続ける作家たちの“いま”を示す試みである。

ここでいうPULSATION;鼓動とは、単なる若さや勢いではない。

土地の記憶と身体の感覚がふと触れ合う瞬間に生まれる、かすかな振動そのものである。

この土地の風土は、火山活動、海流、交易、移動、災害、再生といった反復の歴史を内包している。その地層の上に立つ作家たちは、意識するか否かにかかわらず、土地と身体のあいだに生じる緊張や共鳴を引き受けながら制作している。

本展に集う作家たちは、確立へと向かう前の揺れの只中にいる。

“Emerging”とは、現れ終えた状態を指すのではなく、いままさに立ち上がろうとする、その過程そのものへの思いである。

それは、まだ完成していない。

その未完こそが、強度である。

出展作家

PULSATIONーEmerging Artists of Kyushu vol.01 詳細

[会期]
2026/4/26(日)~6/2(火)
11:30-18:00

[休廊]
水・木休廊
※不定期休廊あり、最新情報はweb等でご確認ください

場所
モノノアハレヲ
福岡県福岡市舞鶴1-9-37

<<Director’s Curatorial Statement>>

本展は、視覚と物質という異なる位相において、「像がいかに成立するのか」という根源的な問いを、あらためて編みなおす試みである。

 中町優作の制作は、具象と抽象のあいだを往還しながら、視覚経験の不均質性を画面上に浮かび上がらせる。焦点の合致と逸脱、像の成立と崩壊が同時に併存するその構造は、視覚が均質で連続的なものとして把握されるという前提を内側から揺るがす。この制作態度は、印象派以降、絵画が光と知覚の問題へと転位してきた系譜のなかに位置づけることもできるだろう。Paul Cézanneに代表される「自然を再現ではなく知覚の構造として捉え直す試み」とも響き合いながら、その像の揺らぎは、再現の精度を志向するフォトリアリズムとは異なり、むしろGerhard Richterらに見られるような、不確定性そのものを引き受ける実践へと接続しているようにも感じる。加えて中町は、美術館に収蔵される古典的絵画、すなわち歴史的な堆積と制度的な重みを帯びた作品群への志向を自覚的に語っている。この志向は単なる嗜好にとどまらず、絵画という制度が長い時間をかけて形成してきた「見ること」の規範や期待を参照するための軸として機能しているように思われる。中町の画面に生じる像の揺らぎや不確定性は、そうした重厚な絵画的伝統を前提としながら、それを安定した価値として再生産するのではなく、むしろその基盤を内側からわずかにずらし、知覚の成立条件そのものを問い返す契機として働いているように感じる。

 一方、池上元啓の実践は、壁という建築的な対象を起点に、その表面に刻まれた亀裂や風化の痕跡を手がかりとして、そこに堆積してきた時間をすくい上げる。ここで扱われているのは、作為によって与えられた形態ではなく、むしろ環境や経年のなかで不可避的に生じた変化である。こうした非意図的な痕跡へと眼差しを向ける態度は、物質を均質で自律的なものとして把握しようとするモダニズム的な枠組みから逸れ、物質を時間や環境、さらには記憶をも内包する存在として捉え直すようでもある。そこでは物質は、固定された形態ではなく、変化の痕跡を引き受け続けるプロセスそのものへと近づいていく。このような視点は、プロセスや重力、時間性へと関心を向けたポストミニマリズムや、アルテ・ポーヴェラの実践とゆるやかに接続する。だが池上の作品において重要なのは、そうした文脈への帰属そのものではなく、むしろ壁という身近な物質が、いつのまにか時間を蓄えた層として立ち現れてくる、その認識の転換にある。ここで物質は、単なる支持体ではなく、不可視の履歴を宿した「場」として現れる。

 両者の実践は、媒体も方法も異なりながら、「可視的な像はいかにして成立するのか」という問いにおいて交差する。中町が扱うのは、像が知覚として立ち上がる以前の、なお不安定なプロセスであり、池上が扱うのは、物質が現在の形態に至るまでに蓄積してきた時間のプロセスである。重要なのは、両者がいずれも完成された表象を提示するのではなく、表象が成立しきらない状態、あるいは成立し続ける過程そのものを可視化している点にある。それは、近代以降の絵画が抱え続けてきた表象の問題を継承しつつ、それを固定されたイメージではなく、「生成」や「関係性」として捉え直す試みのようにも考察できる。

 本展において、両作家の作品が同時に展開されることにより、相互に干渉し、関係性のなかで絶えず変化し続ける知覚体験が生じることに期待したい。

 ここで立ち上がるのは、単に収斂する運動としての震えではなく、絶え間ない変動のリズム「PULSATION; 鼓動」にほかならない。

モノノアハレヲ
Director H