江上寛二 個展『夢のふるさと、絵巻てんてん.小さくー天天.額縁を超えて、aiを超えて「笑」.、幻夢の境地にあそぶ、、、』

2026年7月7日

モノノアハレヲでは、江上 寛二先生による個展「夢のふるさと、絵巻てんてん.小さくー天天.額縁を超えて、aiを超えて「笑」.、幻夢の境地にあそぶ、、、」を開催いたします。

本展では、代表作である風景のシリーズ、また「土偶」や「神話」のモチーフなど最新作も含め、作家のこれまでとこれからを幅広くご紹介いたします。

ご御覧賜れますと幸いに存じます。

展覧会名

江上寛二個展『夢のふるさと、絵巻てんてん.

小さくー天天.額縁を超えて、aiを超えて

「笑」.、幻夢の境地にあそぶ、、、』

出展作家

江上寛二
インスタグラム:@knjegm

1947年生まれ。
1969年 佐賀大特設美術科卒。
久留米大学附設高等学校美術科教諭を50年務める。現在同校非常勤講師。
「風化絶叫」以降、計25回の個展を開催

アートフェア
2024 神戸アートマルシェ,神戸メリケンパークオリエンタルホテル(モノノアハレヲ)
2024 アートフェアアジア福岡, 福岡国際センター (モノノアハレヲ)
2025 神戸アートマルシェ,神戸メリケンパークオリエンタルホテル(モノノアハレヲ)

会期

2026年8月9日(日)~9月6日(日)

作家在廊日(予定)
予定につきましては、変更となる場合がございますので、あらかじめご了承ください。
お手数をおかけいたしますが、ご来廊の際には、事前にお電話等でお問い合わせいただけますと確実かとは存じます。

8月10日(月)
8月11日(火)
8月16日(日)
8月17日(月)
8月22日(土)
8月23日(日)
8月29日(土)
8月30日(日)
8月31日(月)
9月1日(火)
9月5日(土)
9月6日(日)

時間

11:30 – 18:00
※8月9日(日)は15:00~19:30 頃

オープニングレセプション

2026年8月9日(日)15:00~19:30 頃
作家在廊予定

休廊日

定期休廊日:毎週水・木
夏季休廊日:8/12(水)~8/15(土)
臨時休廊日:8/25(火)
※その他不定休の場合は。HPのお知らせ、またはSNSをご確認ください。

会場

モノノアハレヲ
〒810-0073 福岡県福岡市中央区舞鶴1丁目9−37

入場:無料

ステートメント

黄金の卵/「ふと」から産まれた「宇宙」

世界は、どのように始まったのだろうか。

人類は、その問いに対して、神話を語り、宗教を生み、哲学を構築し、そして科学技術によって宇宙を観測してきた。その方法は時代によって異なる。しかし、その根底にあるのは、世界はいかにして始まり、生命はいかにして生まれたのかという、根元的不変の問いである。

『日本書紀』は、その始まりを「渾沌如鶏子(巻第一・神代上)」と記す。天地はいまだ分かれず、陰陽もまた未分化のまま、世界は「卵」の内奥のような混沌として存在していたというのである。

ここで語られているのは、単なる一つの神話ではない。
世界は完成された秩序として始まったのではなく、いまだ形を持たない「生成」の状態として存在していたという世界観である。

「卵」は生命そのものではない。
しかし、内なる生命を宿している。完成ではなく「生成」。存在ではなく存在の可能性。
この未分化の状態を、古代の人々は世界の始まりに重ね合わせたのかもしれない。

本作家は、半世紀を超えて「卵」を描き続けている。
その理由を問われると、作家はすぐに言う。
「ふと、描き始めていた」

「ふと」という言葉は、理由を説明しているようで、何も説明していない。
しかし、おそらくArt とは、そのようして始まるものなのだろう。
何かを理解したから描くのではない。
一つの形が、理由よりも先に身体に訪れる。
その出会いは、あとになって問いとなり、制作となり、半世紀もの時間を貫く。

「ふと」とは、単なる偶然ではない。
理性を放棄した態度でもない。
作家の身心の内奥が世界と出会う最初の瞬間、即ち直感が直観へ高まる時である。

西田幾多郎は『善の研究』において、「純粋経験とは、未だ主客の分離せざる直接経験である」と述べた。
世界を理解する以前に、人はすでに世界に触れている。
意味は、そのあとに生まれる。

作家が語る「ふと」とは、そのような経験だったのではないだろうか。

神話は象徴によって黙して語る。
科学は観測によって記録し記述する。
Art は、そのどちらにも還元されない。
Artとは、答えを示すためのものではなく、人間が世界と出会い続けるための方法である。

Art における創造とは、定まった答えを形にすることではない。一つの問いと出会い、それを生涯にわたって引き受け続けることである。

近年、作家の「卵」と共鳴するように、土偶、縄文、また鏡・剣・勾玉から成る三種の神器といったモチーフが、静かに、まるで必然のように浮上し始めた。それらは、新しい題材というわけではなく、「卵」という問いが、長い制作の時間を経て、深層へと自然に根を下ろしていった結果のように見える。その神話的起源をたどれば、それらは光、境界、生命という、日本人の宇宙観を支える象徴でもある。いずれも完成された存在ではなく、「生成する生命」が作家の内奥で熟し、形になったのである。
そしてまた、「黄金」も、作品群においては、重要な意味を持つ。黄金は古来、永遠、不滅、神性の象徴とされてきた。しかし、それは象徴になる以前に、宇宙で生成され、地球へもたらされた物質でもある。
内なる生命の象徴である「卵」と、宇宙の時間を宿す黄金。
その二つが重なるとき、小さな形のなかに、生命と宇宙とが静かに重なり合う曼荼羅の世界の拡がりを感じる。

私たちはいま、AI という新しい知性とともに生きている。
知識が豊かになることと、世界が豊かになることは、必ずしも同じではない。

だからこそ、AI の時代において、人間が育み続けなければならないのは、答えを競う知性ではなく、まだ名前を持たない問いに耳を澄ます感受性なのではないだろうか。
その最初の契機は、「ふと」という、ごく小さな個人の直観である。

半世紀近く描き続けられてきた作家の「卵」は、完成された象徴ではない。
「卵」は、いまだ割れていないし、割られてもいない。
「卵」とは、不思議な存在である。
生命を宿しながら、まだ生命ではない。始まりを内に抱えながら、いまだ始まってはいない。殻は内なる生命を守るためにある。しかし同時に、その生命を世界から隔て、閉じ込めてもいる。
生まれることと、生まれないこと。
解き放つことと、留めること。
そのせめぎ合いの均衡の上に、「卵」は静かに在る。
作家が「ふと」出会ったのは、始まりでありながら、なお始まっていないという、この存在そのものの不思議であった。
そして、おそらくその逆でもある。
「ふと」出会ったから、この「卵」が特別になったのではない。この「卵」が、どこまでも始まり続ける存在であったからこそ、作家は「ふと」出会わずにはいられなかった。
偶然のように見える「ふと」が、実は作家の内なる必然だったというパラドックスがここに現出する。

AI の時代とは、答えをより速く得る時代ではなく、人間だけが「ふと」創造する問いの意味を、改めて問い直す時代なのかもしれない。

「黄金の『卵』」は、その問いに答えることなく、ただ静かに、そこに、そしてここにも在り続ける。

モノノアハレヲ Director H
添削 西原 和美 先生